お屠蘇気分も抜けてきた1月31日、石綿幹事長から携帯に電話が入る。
急なことだが2月10日(日)に野田秀雄先生のお見舞いと西浜義明先生の7回忌のお墓参りに有志で京都へ行かないかという。偶然にも私は2月9日から京都へ剣道の遠征に行く予定にしていたため、10日の午前中に野田先生が住職をしている見性寺(京都市左京区正往寺町461)で待ち合わせることにする。
2月10日10時30分、東京からは、見性寺前に石綿金之助幹事長、戸井田光弘君、武石和比古君そして京都祇園に泊まっていた三浦の4名が集合。早朝の新幹線に乗ってきたという3名は朝から良い調子のようだ。幾分酒の匂いも残っている。まあいいかということで見性寺の門をくぐる。
玄関でこんにちはと大きな声をかけるとしばらくして野田先生(ご住職)が迎えてくれた。 奥様は私達とは入れ違いに東京へ行ったという。 野田先生は足を手術したとお聞きしていたのでお見舞いを言うと、先生はすこぶる元気でたいしたことは無いと話される。元気なお姿を目の当たりにして皆安心するが、お見舞いに来た私達は少し拍子抜けをする。
しばらく談笑した後、本堂で西浜先生の法要をしていただく。
私達も一人ずつご焼香をして亡くなられた西浜先生に思いを馳せる。
法要の後、西浜先生が眠られているお墓へ参拝して改めて手を合わせ、お線香をあげる。墓地を後にして本堂へ戻り、野田先生に再会を約束して見性寺を後にする。
私は剣道の遠征チームへ合流し、木屋町の町家レストランで昼食をとり、京の町を散策して17時前には京都駅に向かったが、3人組は20時49分の新幹線まで京都の町を堪能して良く食べ良く飲み、また良く飲み、そして新幹線でも良く飲んで帰京したと後日聞いた。 還暦を過ぎたのにパワフルさは昔と変わらない京都の墓参であった。
三浦尚城 記