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64回 旧中2E組有志

ハンザキ研究所訪問記

〈きっかけ〉

 旧中2E組担任の栃本先生の「クラス会を開けないかな」との声を受け、元生物部部員を中心とする世話人会(井口康雄・荻野高重・桝野喜久・亘憲一・山風ヌ市・中村重俊 以上6名)が発足しました。「その時の閻魔帳のコピーが見つかったよ」。先生から名簿のコピーが送られてきました。1クラスに58名もいてびっくり。

 夢芝の会の大橋英明君にお願いし、一昨年(2017年)の会でクラス会のお知らせをしました。その後、夢芝の会の名簿をお借りし、住所のわかる30数名に葉書でクラス会の案内を出しました。(連絡のつかなかった人、ごめんなさい)

 
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トピック1  栃本先生のプロフィール

 東京水産大学(当時)を卒業された先生は、芝学園に奉職しました。2年間の芝学園での教師生活(2年目に中2Eの担任)にピリオドを打ち、姫路水族館の設立準備室に勤め同館設立に尽力しました。同水族館館長を定年退職した後、オオサンショウウオの研究をライフワークとして、2005(平成17)年に兵庫県生野町にNPO法人日本ハンザキ研究所法人日本ハンザキ研究所を立ち上げました。ハンザキは、オオサンショウウオの和名です。

〈いざ出発〉

 2018(平成30)年9月28日(金)午後1時、姫路駅前のレンタカー店にクラス会参加者が集合しました。荻野高重、後藤守男、佐々木英貴、間部俊二、亘憲一、中村重俊の6名です。内2名(佐々木・間部両君)は、早めに来て姫路城を見学したそうです。


※写真はクリックすると拡大してご覧いただけます(以下同様)

 小型車2台に分乗し、ハンザキ研究所を目指して出発。高速道路の播但道を約1時間、生野インターで降りて、国道429号線に入ります。国道とは名ばかりで時折道幅が狭いところもあるくねくね曲がった山道でした。山が深くなり人家も途絶えた約30分後の午後3時少し前、無事ハンザキ研究所に到着しました。

 車を降りると、笑顔の先生が迎えてくれました。実際の先生は、写真やテレビ(所さんの目がテンに出演した)で見るより、若くお元気そうでした。喜寿のお祝いを差し上げると、とても喜んでくださりよかったです。

 

トピック2 オオサンショウウオのはなし

 関東では馴染みのないオオサンショウウオですが、岐阜県以西の山の中の清流に生息しています。両生類(カエル、イモリなど)では世界最大の生き物です。普通に見れば気持ちの良い姿かたちではないのですが、最近では“ゆるキャラ”のような愛嬌のあるマスコットやぬいぐるみが人気のようです。

 生態は、夜行性で昼間はほとんど川の中の巣穴でじっとしています。夜になると巣穴から出て、目の前にいる生き物は何でもガブリと大きな口で食べてしまいます。

 その大きな口が裂けているように見えることからでしょうか、別名“ハンザキ”という和名があります。また京都から兵庫、鳥取、広島、岡山、島根にかけては“アンコウ”とも呼ばれています。

このオオサンショウウオのすごいところは、大きな口だけではありません。3千万年前からその姿かたちをほとんど変えることなく現代に至っています。3千万年もの間オオサンショウウオには進化など必要なかったのでしょう。

 昔からのんきに生きてきたオオサンショウウオですが、その生息地では貴重なたんぱく源として食用にされていて、そのため激減し特別天然記念物に指定されました。

 それからは中国から輸入して、京都の料亭などでも出していたそうです。その時に輸入されたチュウゴクオオサンショウウオが河川に放たれて野生化し、日本古来のオオサンショウウオと交雑してしまい、特に京都の鴨川にいる90%以上がチュウゴクオオサンショウウオかハイブリッド(交雑種)だそうです。

(山風ヌ市君の文章をそのまま引用させてもらいました)

〈オオサンショウウオの寿命は何年?〉

 研究所の建物は旧黒川小中学校の跡地で、入り口を入った事務室は職員室だったそうです。荷物を置いて、事務室の丸い大きなテーブルにつきました。

 50数年ぶりの再会なので、自己紹介からスタート。芝中時代の話がひと段落した後、オオサンショウウオや自然保護に対する思いを中心に貴重な話をしてくださいました。


 オオサンショウウオの生態はまだまだ謎が多いそうです。
 生態を解明しないと保護対策が立てられない。寿命すらわかっていない。シーボルトがドイツに持ち帰ったオオサンショウウオの51年生きたとの記録が最長とのこと。オオサンショウウオは、1年に10ミリほどしか成長しないので、例えば150センチの個体は150年生きているかもしれない?とのことですが、まだ誰もオオサンショウウオの一生を突き止めた研究者はいないそうです。

 最近ではマイクロチップを埋め込んで追跡調査をしています。今のところ30年以上追跡している10匹のうち38年が確認された個体があるとのことです。マイクロチップを埋め込んだ個体は1000匹を超えているそうで、引き出しを開けて膨大なリストを見せてくれました。

 オオサンショウウオは夜行性なので、調査は夜中になるとのことでした。これだけでも先生の凄さが身に沁みました。

 河川改修の時には、両岸をコンクリートで固めたりして巣穴を作れなくしない、などの提案やアドバイスをしているそうです。

〈オオサンショウウオとの対面〉

 そのあと、オオサンショウウオの一時飼育施設に改修したプールを見学しました。いよいよ本物のオオサンショウウオとのご対面です。

 いくつもの仕切りで分けられたプールのあちらこちらにオオサンショウウオがいました。
「あ、いたいた」「こっちにも大きいのがいるよ」何匹か寄り添っていて、しっぽだけが出ているところもありました。先生が、覆っているものをどけると3匹のオオサンショウウオが雑魚寝みたいに寝ていました。

 初めて見るオオサンショウウオは、何と言っていいか表現しにくい生き物でした。結構大きいのもいました。先生にとっては、かわいくてしょうがない生き物なのかなと思いました。

 近くの河川工事の時預かっているオオサンショウウオもいるそうです。
 プールの水は、上を流れている川から引いているそうです。

 プール横の準備室には、生まれて1年から5年までのまだ幼生のオオサンショウウオが飼われていました。まるで黒いウーパールーパーみたいで、可愛かったです。

 5時頃研究所を後にしました。

〈黒川温泉と民宿まるつね〉

 民宿に荷物を置いて、徒歩7,8分の黒川温泉に行きました。思ったより建物も立派で泉質の良い、いい日帰り温泉でした。美肌の湯と言われているそうです。

 夕食は、アマゴ(イワナの仲間)のフルコースをはじめ、食べきれないほどおいしい料理が出ました。近くにアマゴの養殖場があるそうです。

 後藤君だったか、芝中高時代の襟章を持ってきました。「えー、まだ持ってたの」「この色、5年だっけ」等々昔話に花が咲きました。

 この農家民宿は、「オオサンショウウオに会える宿」と銘打っているように宿のすぐ前の川でオオサンショウウオに会えるとのことです。

 夕食の時、宿のご主人が何度も川を見に行ってくださっていました。「今日は水かさが多いので、会えないかな」ご主人の言葉に一同ちとがっかりした様子でした。でも気を取り直してご主人の案内で懐中電灯片手に、もしかしたらとわくわくしながら川におりました。が、残念ながらオオサンショウウオはいてくれませんでした。ご主人が申し訳なさそうでしたが、こればっかりは仕方ありません。

〈ハンザキ研究所とあんこうミュージアムセンター〉

 翌日の9時前に再度ハンザキ研究所を訪れました。先生が、校舎内にある資料や展示物について、一つひとつ丁寧に説明してくださいました。

 先生が姫路水族館時代からの膨大な研究資料もありました。生野の動植物の標本も多数展示してありました。生物の好きな人には垂涎の資料だと思いました。全国から集めた、オオサンショウウオのかわいらしいグッズ類の楽しい展示もありました。

 体育館には、イベントなどで使用するオオサンショウウオを紹介するパネルなどが並んでいました。

 地域の自然とハンザキ研究所とこれらの資料・展示物などを合わせて、「ハンザキ研究所とあんこうミュージアムセンター」と呼んでいるそうです。

 帰り際、何人もの方々が封筒に書類を入れるなどの作業をしていました。研究所の活動は、地域の人々に支えられていることを感じました。

 貴重なお時間を我々のために割いてくださった先生に感謝しつつ、ハンザキ研究所を後にしました。

トピック3 生野まちづくり工房 井筒屋

 「地域のおばちゃんたちが、まちおこしのために一生懸命手作りしたものなど土産物も販売しているから、帰りがけによってくれると嬉しいな」。

 そこで売っているあんこうクッキーは、オオサンショウウオの形をしていて、オオサンショウウオの形にしたらどうですか、と先生が提案したのだそうです。

 私はお土産に、そのクッキーとオオサンショウウオの形をした小物入れを買いました。家族から抱き枕(4500円)を頼まれたのですが、残念ながら売り切れでした。あんこうクッキーは、ひいき目ぬきでおいしかったです。オオサンショウウオがまちおこしに一役買っているのが、嬉しかったです。

 帰途、生野のまちに入ってすぐのところにあります。

(間部俊二君の感想です)

 先生お一人で研究を続け、やっと?後継者が見つかり長期間の研究継続が可能になったと喜んでいらっしゃいました。個人の力に頼る日本の研究のひ弱さを感じました。

 また、一方で集落の人口の減少、それに負けずにオオサンショウウオで“村おこし”を行う住民の方の力強さを感じました。

 夜、民宿まるつね周辺の漆黒の闇は本当に真っ暗で道が見えないくらい、今住む横浜では忘れていたものでした。

 先生の自然の生き物をそのまま残す努力、我々に何ができるかを考えさせられる訪問であったと思います。

〈ハンザキ研究所訪問のお誘い〉

 後藤君が先生に写真を送ったところ、返信のメールに「……話をしているうちに昔の様子を思い出してきて、やっぱりよかったなと思っています。また機会があればいいなと考えています。……」とありました。

 そこで、旧中2Eだけでなく同期の皆さんにも広く参加を呼び掛けたいと思います。日時などはまだ未定です。

 今回は、9月28,29日でしたが、最初は7月6,7日で計画しました。
ところが、西日本の豪雨のため直前で中止になりました。7月は先生の、どうせならゲンジホタルも見に来たら、ということで日程を決めたのでした。白紙に戻り、9月になりました。

 HPを見て行ってみようかな、話だけでも聞いてみようかな等興味を持たれた人は、同窓会報に載っている山風ヌ市君のメールアドレスにご一報いただけると幸甚です。ハンザキ研究所を訪れると、ハンザキのとりこになる人が少なからずいるそうです。

*図書の紹介

「飼育係はきょうもフィールドへ」 杤本武良著
北星社・1800円+税
2014年7月

 この本は、先生が産経新聞播州版に50回連載された「水族館やのユメ・ウツツ」をもとに加筆・修正したものです。生物にあまり関心のない人も興味深く読めます。冒頭に芝学園時代のエピソードが載っています。
 アマゾンなどで手に入ります。

(文責 中村重俊)
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